無料ブログはココログ

2014年5月10日 (土)

戸塚学 on 黒井千次『高く手を振る日』(新潮文庫)

黒井千次
『高く手を振る日』(新潮文庫)
Reviewed by 戸塚学

 バイト先で黒井千次に料理をサービスしたことがある。『春の道標』や『群棲』の作家という認識で、現在進行形の作家という気はしなかったが、新幹線乗車用に手に取った本書で認識を改めた。黒井が『働くということ』という「仕事」もの、あるいは近年の(読んでいないのだが)『老いのつぶやき』などのシリーズを書いていることの理由が少しわかった気がした。

 『高く手を振る日』は一見、「老いらくの恋」の物語である。作家自身と等身大の年齢を持つ主人公嶺村浩平は七十代の老人で妻を亡くして独り暮らしをしている。物語は三人称叙述で、この浩平の視点で進む。決して女の側の心理がわからないような構造になっているのが叙述構造上のポイント。「少し先で行き止まりになってしまう」という感慨を抱き始めた浩平は、自らの若き日の秘密がそこにこめられた、合成繊維のトランクを取り出す。

 大江健三郎であれば、トランクの中には「物語」の起源となるはずの文字が封入されているわけだが、黒井の場合トランクの中には一葉の写真というイメージが封入されている。それは大学時代のゼミの同窓生、瀬戸重子が白い中国服を着て映ったポートレイトである。

 浩平は学生時代、後の妻となる芳枝と付き合っていた時、ふとした偶然から重子と雪の降る寺の境内で衝動的に抱き合い口づけをしたことがある。浩平は思い出の中から湧き出たようなその写真を見つめながら、何故か淡い感情をくすぐられる。その余韻さめやらぬうち、娘の旦那の関係で重子との半世紀ぶりの数奇な再会を果たす。浩平は重子に携帯電話の購入を勧められ、娘と購入したその機械を使って重子にメッセージを送り始める‥‥。

 なるほど『高く手を振る日』のロマネスクは老いの状況下で進行する男鰥の浩平と重子との危うい均衡の上に成り立つ感情の振幅によって支えられているわけだが、その際に注目すべきはたとえば浩平の次のような視線である。

《昼前の空いた電車に乗り、優先席を故意に避けて七人掛けシートの若者の隣に腰を下ろしても、浩平の昂揚した気分はまだ続いていた。分厚いマンガ雑誌を読む男が車内にやたら多かった時期があるのを覚えているが、今は向いに坐る乗客のほとんどが手の中の携帯電話を覗き込み、滑るように指先を動かしているのが目にとまる。電車の中でどんなふうに電波が飛んでいるのかは見当もつかないが、自分には結局無縁であった携帯電話という器具が使いこなされている光景を、浩平はぼんやり眺め続けた。電話とはいってもそれを耳に当てて話す人は見られず、ひたすら掌の中に目を注ぎ指だけを動かし続ける無言の人々は、おそらく電報のような文字による交信を行っているのだろう、と想像するよりなかった。どこか不思議で、遠い鰯雲の間にいるような人々だった。》[40]

 この「携帯電話」をめぐる浩平の違和について綴られた一節は、本書が「はじめて見るものをはじめて見るもののように書く」ことで成り立っていることを際立たせている。なんともあざといノンシャランス(この携帯電話への視線は、黒井がまさにそのように感じているところのものではないか)!「電報のような文字による交信を行っているのだろう」というこの一節の持つ「はじめて」感は、実は直後に開始される浩平の重子へのメッセージのやりとりの、その恋の萌芽の感情そのものの動きと響き合っている。

《〈おあいしたい げんきになったしげこさんに はやくあいたい〉/追い縋るようにボタンを押して彼はメールを送り返していた。手紙のやり取りや電話で話すのとは違い、自分の言葉が裸になって相手に駆け寄っていくのを感じた。面映ゆさや気後れを交信の新鮮さが払い落としてしまったかのようだった。/〈なるべく早く連絡します。ちょっと待って〉/重子の返事にも、これまでとは異なる音色が含まれているようだった。それが彼と同様にメールを使ったせいなのか、それとも彼女自身の気持ちの動きによるものか、見極めるのは難しい。/〈じっと まって います〉》[95]

 「裸になって」駆け寄ろうとする七十代の男の感情をやんわりと制しながら、自らが決めた結末に向かって男を導いていく女のやりとりが、男の初めて手にした携帯電話の「メール」の文面をもって提出される。〈じっと まって います〉という文面にこめられた、男への作家の眼差しの冷酷さにも注意しておきたい。五十年前に剥き出しにはできなかったその時の重みをともなって、発せられるはずの無かった言葉が提出されるその「はじめて」の感触を、黒井は「はじめて」手にしたメディアによるやりとりを通して小説世界にあらしめるのである。

 「はじめて」のものとして描かれるもの―鮭の赤い切り身(上司の老衰/痴呆)、葡萄の蔓(終わった恋の再会~発展)、庭に現れる二人の子供達、待ち合わせ場所に現れる重子の服の色―への驚きが、浩平と重子との言葉のやりとりの中で次第に充実し、膨張していく。

 この小説の「老いらくの恋」の一つのクライマックスを見てみよう。

《「大丈夫だった?」
「何が?」
頬を寄せ合った重子の息が胸に柔らかかった。
「躓いただろう?」
「今、確かめたのではないの?」
「別のことをね」
「別の何を?」
 浩平はソファーの上で身体をずらし、重子の肩を抱いたまま並んで背凭れに身を傾けた。
「俺達、今が初めてではないよ」
 重子から応えはなく、どこか深いところに沈み込んでいくような気配だけが伝わって来た。
 「ゼミの帰りが大雪の日、近道して抜けたお寺の境内のこと‥‥」
 忘れている筈はないと思うのに、重子は微かに首を横に振ったようだった。
「あの時も、敷石の端を踏んだかして、倒れかかった」
「半世紀も前の話?」
 肯定も否定もせずに重子は問い返した。
「流れた時間の量ではなくてね、折れた時間の切先みたいな、とんがりかもしれない」
「それなら、今も同じだわ」
「同じだね」
「ただ、振り返るところまでの、この先の月日がね」
「もう、振り返らなくてもいいのではないか。今だけあれば充分だよ」
「今はすぐ無くなるけどね」》[140-141]

 ああ、そうか、と思う。この小説は「はじめてのものをはじめてのもののように書く」ことをしている、と書いたが、黒井が「老いらくの恋」を通して書いてみせたのは、「時間」のことであった。振り返ってみれば、切り取られた切っ先から生え始めた「葡萄」の枝も、ただ恋の行方の象徴だっただけでなく、この「時間」のテーマの一変奏であった。

 浩平と重子が半世紀ぶりの再会で見てしまったものは、切り取られた時間の先にあった何かである。この何かを見た時、初めてこの老いた二人の男女は、自分達が積み重ねてきてしまった七十年の時の厚みを見せつけられる。七十代になっても「今だけあれば」と発してしまう男の認識を、重子は「今はすぐ無くなるけどね」とやんわりと制する。このやりとりの中に、老人ホームに入って別れを告げようとしている女の立ち位置と、追い縋ろうとする男の立ち位置とが刻み込まれている。

 物語の結末は、典型的なオープンエンディングで閉じられる。一本の電話が鳴り響き、それは娘のものとも重子のものとも確定されない。男はゆっくりとそれに向かって歩いて行く。まるで、「はじめて」の何かの始まりにむかって歩いて行くように。

 こうなるともはや、老いとかメールとか携帯とかは、ほとんどテーマですらないことが明らかになる。逆に言えば、黒井が「仕事」や「老い」をとりあげるのは、それが個別のテーマであるというよりは、「はじめて」のもののようにまなざされ象られる対象だったからなのである。

 黒井千次は「内向の世代」に括られ、実際にその描写は各所で「ああ内向の世代だよなあ」と感慨を催させもするのだが、よく考えてみると「はじめてのものをはじめてのように書く」とは、リアリズム小説の一つの理念なのではないか。この小説を読みながら、『魔の山』のハンス・カストルプの幼少期の、祖父が取り出すあの銀の燭台の肌触りを思い出していたのはあながち奇矯な連想でもないのだろう。

2013年8月27日 (火)

戸塚学 on 澁澤龍子『澁澤龍彦との日々』

澁澤龍子
『澁澤龍彦との日々』(白水社、2009)
Reviewed by戸塚学

 矢野澄子と別れて41歳のとき、澁澤と29歳で再婚した龍子のエッセイ集は、 次のような美しい情景から始まる。

《「龍子、ホトトギスが鳴いているよ」と澁澤が、前夜からの執筆の手を休めて、ぐっすり眠っているわたしを起こすのは、きまって青葉の美しい五月中旬のころでした。「今年初めての鳴き声ね、手帳にメモしなきゃ」と夢うつつで、明け方の空を見上げます。
 澁澤は生前、ウグイス、ホトトギス、トラツグミ、それにヒグラシ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシなどの初音を聞いた日を、忘れずに書きとめていました。毎年、彼が机上で愛用していた新潮社のカレンダーの一九八七年四月六日のところに、「風呂でトラツグミ 聞く」としるしてあります。五月二日に二度と帰ることのない再入院をしたのですから、家で聞いた最後のトラツグミの声だったのかもしれません。》[9]

 子供を持たず夫婦だけで作り上げた二人の「宇宙」はこのように、明け方のホトトギスの鳴き声と、執筆を終えてこれから眠ろうとする澁澤、龍子を起こす声によって開示される。癌に冒され手術を終えた澁澤のこの時の声は、描写はされていないがかすれた小さな囁きであったはずで、この何気ない会話が交わされた時の夫婦の顔の距離の近さが浮かび上がる。この時書いていたのは『高丘親王航海記』であったろうか。

 新潮社で担当編集者をしていた龍子と澁澤は次第に接近し、休みの申請を断られた龍子に「それならぼくが世界中どんなところへでもきみを連れてくから、すぐ会社を辞めちゃえ」と言いかけて、二人は一緒になることになる。なれそめから記述が起こされた本書は、以下、澁澤との十八年間の濃密な日々を綴っていく。

 澁澤という戦後日本文壇における特異な核を形成していた作家と過ごす龍子の濃密な「宇宙」は、まず第一に、澁澤が関心を向ける世界の「物」によって組み立てられている。

《「何、この実」と拾って割ってみると、中から真っ黒な、おそろしく堅い種子が出てきました。「これ、ムクロジだ!」と、澁澤はもう興奮して、「羽子板の羽子のお尻についている黒い球だよ。話には聞いていたけど、はじめて見たよ」ともう夢中、草むらでムクロジの実を拾い集めるその姿は、いつもながら急に子どものようにかわいらしく見えてきて、わたしも嬉しくなって、思わずニコニコしてしまうのでした。》[43]

 澁澤は実に多くの「物」達に関心を示すが、澁澤にとっての世界は反転した世界である。まずはじめに「話には聞いていた」というムクロジをめぐる言葉の世界があって、その言葉の世界に当てはまる現実世界が眼差され愛でられる。したがって、澁澤と龍子の作り上げた「宇宙」の第二は、その「物」を探しに世界に出かける旅先の「風景」という様相を呈する(なお本書には、一種の続篇にあたる『澁澤龍彦との旅』2012がある)。

《旅に出ると、彼はいつもすばらしいガイドでした。歴史、文学、美術、食事に至るまで、彼のようなガイドは二人といないし、感動を分かち合える人もいません。ですから彼の死後は、しばらく海外へ出かける気にならなかったのです。(略)
 「おもしろいのはたくさんいるけど、いちばんはデカダン大名の名をほしいままにした大内義隆。最後はホモ相手だった重臣の陶晴賢に殺されてしまうんだよ。義隆を書きたいな。」そんな会話から、山口への期待がどんどん高まって行くのでした。
 そんなわたしたちを町は裏切ることなく、夏にはホタルが飛び交うという一の坂川のほとり、両岸の爛漫の桜が、流れに影を落として歓迎してくれるかのようでした。
 わたしは桜が大好きで、今でもその季節になるとソワソワと、京都原谷の紅しだれは咲いたかしら、御室の桜はどうかな、常照皇寺の御車返しの桜は今年はいい花つけるかしらなどと、ふらふらと桜見物に出かけてしまうのですが、このときの京都、宮島、山口の桜ほど、美しい花を見たことがありません。》[113]

 龍子の眼差す「桜」には、というかそれを綴る龍子の言葉には、澁澤の「言葉」が浸透している。より正確に言えば、言葉と世界が反転しているところの澁澤の「言葉」が、である。澁澤ほど旅のガイドに適した人物はいないであろうが、澁澤本人はお金もまともに使えず、方向音痴で、必ずしも旅慣れた人物ではない。だが澁澤には言葉によって既に読みとられた広大な世界地図があって、澁澤はその言葉の世界を通して現実の世界を龍子に見せていく。この二人が見つめた「桜」の世界も、こうした言葉と現実の反転によってこそ美しく輝いているのである。

 二人の「宇宙」を構成する第三のものが「人間」である。

《澁澤は種村さんよりはいくらか年上でしたが、文学や書物については、ほんとうによく話が合ったようで、お互いに家を行き来して、「こんな本がある」とか「これを読んだか」といったような会話がしきりに取り交わされたものです。出不精な澁澤が植木市だ貴船祭りだといっては、大磯や真鶴のお宅に伺っていましたから、やはり仲良しだったのでしょう。》[135]

 ここでも澁澤と種村の間には言葉が交わされる。それも、言葉をめぐっての言葉である。中井英夫が「三島も澁澤もいないこの世なんて、生きていてもしょうがない」と泣いていた、と龍子は記すがむべなるかな。澁澤の中に蓄えられたブッキッシュな言葉で構成された宇宙はたしかに現実の中にある場所を占めていたわけだが、それがぽっかりと穴をあける。石川淳、種村季弘、埴谷雄高、稲垣足穂、中井英夫、多田智満子、吉岡実、高橋睦郎、池田満寿夫、三島由紀夫、林達夫と並べてみたとき、その交友関係が作り上げていた言葉密度とでもいうべきものにちょっとのけぞる。濃ゆい。

 澁澤龍子はかくして澁澤と自身が作り上げていた十八年の結婚生活の濃密な「宇宙」を提示して、最後に澁澤が言葉を失う瞬間を一滴の涙を通して描き出す。

《そして、一九八七年八月五日午後三時三十五分、ベッドで読書中に頸動脈瘤が破裂。真珠のような大粒の涙が一つ、左目からこぼれて―一瞬の死でした。》[177]

 読み書かれた言葉で出来上がっていた澁澤を核とする「宇宙」は、こうして癌によって言葉を失われ、一粒の「涙」に結晶される形で閉じられる。

2013年3月 5日 (火)

斎藤悠樹 on Julian Barnes, _Through the Window_



Julian Barnes
Through the Window: Seventeen Essays (and One Short Story) (London: Vintage Books, 2012)
Reviewed by 斎藤悠樹

「ジュリアン・バーンズは窓ごしに」

文芸批評のたぐいを読んでいると、こんな一節に出会うことがある。曰く、「Kの本来の資質は詩にあった。しかし抒情詩のじゅうぶんな蓄積を欠いた近代日本では、作家はとにもかくにも小説というジャンルにうったえざるをえない。それゆえ、彼の残した作品を小説として読むと、ある歯がゆさが残るのも事実なのである。たしかに描写は美しいが、美醜をこえた人間の業を書けていない。思わずハッとするような洞察がそこかしこに散りばめられてはいるけれども、あくまで断片的な身辺雑記にとどまっており、これらが緊密な物語へと編みこまれ、普遍的なひろがりを獲得するにはいたらない。しかしこういうすべての瑕疵もかかわらず、あるいはそれ故に、Kの文章はそこかしこに意想外の抒情の香をふくんで、思いもよらない詩情の一撃でもって、ふと、読者の心を揺さぶるのである。だがやはり、…」云々。

わかったようなわからないような批評だが、ようするに、近代日本ではジャンルとしての小説の存在感があまりに圧倒的であったがゆえに(そして詩というジャンルが不当に軽視されたがゆえに)、その本領が長編小説以外のところにあったはずの文人もまた、小説という土俵で勝負せざるをえなかったということだろう。しかし、こういう「ジャンルを誤った文人」や「余技のほうがおもしろい小説家」というのは、古今東西、つねに一定数いたのではないかという気もする。近代日本、そしてとくに小説と詩の関係に話をかぎらずとも、ある種の典型なのである。ひょっとしたら偏見かもしれないけれど、現代英文学ということでいうと、筆者にとっては、本エッセイ集『窓ごしに』のジュリアン・バーンズがそんな小説家の代表格だ。

『フローベールの鸚鵡』によって鮮烈なインパクトを残し、その後もコンスタントに佳作を発表、一作年には『終わりの感覚』でマン・ブッカー賞までとってしまって、すっかり現代イギリスを代表する小説家として地歩を固めた感のあるジュリアン・バーンズ。確かにかれの小説世界はじつにたくみに構築されている。知性の粋をこらした綿密なプロット、緻密な構成のすきまを通してそっと洩れ出すひかえめな感情のニュアンス、正確かつ繊細な文体をささえる強靭な精神力、どれをとってもまるで隙がない。しかしあまりに隙がないのが唯一の欠点というか、ジュリアン・バーンズの精緻をきわめた作品を読んでいると、そういう「隙」さえも意図的にしかけられたものであるような気がしてしまうから、小説というのは難しいものである。いいかえれば、かれの長編小説はあまりに見通しがよすぎて、読者が、そして作者本人が、瞑きより瞑きに踏み迷うかのごとき、そういう危うい感覚に乏しい。曰くいいがたい衝動の横溢にドライヴされ、行きつく先もわからないまま憑かれたように語りだしてしまうという、あの長編小説に特有のモメンタムと無縁なのである。ただ、ジュリアン・バーンズは透徹した自己認識の人だから、そんなことは百も承知。ペネロペ・フィッツジェラルドの小説の「踏み外した感じ」(‘wrong-footed’、辞書的には「不意打ち」)を讃えた冒頭のエッセイの一節など、こういう機微をすっきりと説明して、じつに的確である。

小説というのは都市のようなものである。ある種の小説は、交通機関の路線図が明快な色使いで塗り分けられるさまにも似て、明晰に構築され、展開されていく。電車がひとつ先の駅に到着するようにして、各章が進行する。そして最終的には、すべての登場人物がテーマの終着駅にいたるまで首尾よく運ばれていくのである。さらに巧妙で、より賢明な小説というのは、こういう瞬時に読みとることのできるルート・マップをあたえてくれない。読者は街を旅行するのではなく、街のただなかに放りこまれる。あるいは、生そのもののただなかに。道のりは読者が自分で開拓しなくてはいけないのである。こちらの小説は、人間関係という「融資や負債、払戻しに差押さえ」からなる隠微なネットワークにもとづいているので、その構造も様式もすぐには見えてこない。こういう小説が機械的に動いていくというわけでもない。生そのもののように迷い、立ち止まっては、またふらつきながら進む。その実、壮大な様式や隠された構造があるのだが。(13)

ジュリアン・バーンズはここで、ペネロペ・フィッツジェラルドの「地図のない小説」を称賛しつつも、同時に、あたかもシンプルに色分けされた路線図のように明晰なみずからの才能に対して、ひそかに不満を吐露しているのではないかと考えたら、邪推がすぎるだろうか。しかし、小説を都市にたとえ、読者を街中を縫ってはしる電車の乗客に見立てた、この認識と文彩じたいブリリアントなものであり、ここまできれいに腑分けし、表現できてしてしまうのは、やはり頭のなかに明快な「路線図」が描かれているからではないだろうか ― そんな思いが、つい、脳裏をよぎるのだった。

そもそも、剥きだしの感情を文章にぶつけ、あるいは呪詛のように言葉を垂れ流し、あるいはあざといレトリックで物語への飢餓感をあおりたて、読者の興味をながいあいだ釘づけにしておくには、ジュリアン・バーンズの筆致はあまりにも上品なのである。そこに執着や情念がないわけではない。しかし本書の例によって卓抜なタイトルをかりるならば、そういう剥きだしの感情はすべて「窓ごしに」みつめられる ― 語り手は内に秘めたものの存在を仄めかしはするけれども、その内奥の核の部分は明かさない。読者のほうに僅かに歩みよってそっとその心を揺さぶるけれども、むりやり小説世界に引きずりこむような手荒な真似はしない。「生そのもの」とのあいだに窓ガラスを一枚はさんだかのような控えめな距離感は、それじたい、決して悪いものではない。これがジュリアン・バーンズの小説家としての選択であって、かれはそうやってプロの作家として生きのこり、一流になったのだから。筆者なども、ジュリアン・バーンズのあっさりとした味わいの筆致に、つい惹かれてしまうクチである。しかしこれが長編小説となるとどうだろうか?

たとえば、数年前の『アーサ&ジョージ』など、アーサー・コナン・ドイルとジョージ・エダルジという対照的な二人の人生の軌跡がふとしたきっかけで密接に絡みあい、そしてまた呆気なく離れていくさまを描いて、ほんとうに素晴らしかった。デュアル・バイオグラフィのような筋立ても心にくい。物語の末尾、ジョージはアルバート・ホールを訪れ、スピリチュアリズムの関係者が主催する降霊会(セアンス)に参加する。法律家であり根っからの事務屋のジョージは、巫女が呼び出したというアーサーの霊なる存在には懐疑的なのだが、これをきっかけに、アーサーの情熱と確信にみちた言動を久方ぶりに想起することになる。そして翻ってはみずからの受け身の人生に思いをはせ、ある空疎な感慨をおぼえるにいたるのである。

周囲の観客がはけると、かれは再びかがみここんで望遠鏡を手にとり、メガネに押し当てた。そうして、もういちど演壇のうえに焦点をあてた。紫陽花の山に、空席の列に、そしてとりわけ、厚紙のプラカードを備えつけたあの無人の席に。もしかしたらサー・アーサーの霊が降臨していたかもしれない場所だ。ジョージの視線は幾重にもかさなるレンズを通してみつめていた。虚空を、そのさらに向こうを。かれはなにを見ているのだろう。なにを見たというのだろう。そしてこれから先、なにを見るのだろう。 (Arthur & George, Vintage Books, 2005, 356-7)

何枚ものレンズをすかして凝視された空席。「生そのもののただなか」にある人間模様ではなくて、あくまで遠まきに見出された不在の光景。上に引いた小説論とはうらはらに、生の充足から僅かにへだてられて、ガラスごしにその余韻にひたるかのような距離の感覚を描くときにこそ、ジュリアン・バーンズの筆は冴えわたる。極言すれば、『アーサー&ジョージ』は、この「窓ごしに」みつめられた生の感触を定着するだけのために書かれたといっても過言ではない。ただ、ここまでたどりつくのに小説は350頁、ペーパーバック版にするとじつに500頁を費やしている(装丁が凝っているので、つい、両方とも買ってしまったのです)。二人の人生がこれほど分厚い長編小説として描かれなければならない必然性があったのかどうかと考えると、一抹の疑問がのこったのも事実で、こういう空虚な感じを書きつけるには、かれの場合、長い物語よりも随想風の断片的なスケッチのほうがいいような気がしたのだった。

というわけで、ここまでくると完全に好みの問題ではあるけれども、筆者はかれの長編よりも中編が、中編よりも短編が、短編よりもエッセイが好きである。そこに「物語」という意味でのプロットはないかもしれない。しかしジュリアン・バーンズの随想には、「たくらみ」というもう一つの意味でのプロットがそこかしこに張りめぐらされていて、緻密な構成と該博な知識、そして小気味よい文体でもって、十二分に読者を楽しませてくれるのでる。

そもそも、小難しいことを考えなければ、出世作の『フローベールの鸚鵡』からして、素朴な意味での小説というよりも、たくみに構成されたエッセイ集のようであった。エンマ・ボヴァリーの瞳の色が茶色であったり、漆黒であったり、ときには碧眼とまで書かれていて、まるで一貫していないことを指摘、この事実をもって、フローベールの描写に難癖をつけたオックスフォードの仏文教授。語り手(というよりこの場合は、ジュリアン・バーンズその人と言ってよいだろう)は、エンマの瞳の色の変化に気づかなかったことを悔い、微かな嫉妬をにじませながらも、「この世にパーフェクトな読者、トータルな読者など存在するだろうか?」と問う。すべての細部を記憶せんとするような読書は、実のところかぎりなく労働にひとしいのではないだろうか?市居の読者はむしろ「忘れる」という特権に恵まれているのではないだろうか?そしてこの仏文学者のことを「記憶に呪われている」といって揶揄するのである。明晰な論理展開と衒学趣味で煙幕をはりつつも、そのうしろで嫉妬から矜持へと微かに心情が揺れうごいていくこのくだりが筆者は好きで、飽かずになんども読みかえしたものだった。妙な言い方なのだが、ジュリアン・バーンズがこうやってエッセイ風に文章を展開するとき、その筆致は、かれの「小説らしい小説」よりも小説的なものとなってくるのである。日本風に私小説的な瞬間というべきかもしれない。ジュリアン・バーンズというと、一般的には明晰な知性のキレで勝負する作家だとみなされていて、実際、「私」が前面に出てくることは少ないのだが、じつは意外とプライヴェートな感情に生きる人なのではないだろうか ― 激情のうねりではなくて、ふとしたはずみの心の揺れに。

閑話休題、本書にもどろう。『窓ごしに』にエッセイとしておさめられた文章はほとんどすべて作家論であり、英米仏の古今の作家が縦横に論じられている。アーサー・クラフ、ジョージ・オーウェル、フォード・マドックス・フォード、フェリックス・フェネオン、ウェルベック、イーディス・ウォートン、カミュ、メリメ、ジョン・アップダイク。フランスで書かれたキップリングのモデル小説を英国人の視点から論じるというような、ひねくれたフランコ・フィルぶりが健在なのも嬉しいし、ヘミングウェイを辛くも讃える一文を草して、これを苦い短編小説に仕立ててしまったのもおもしろい。タイトルもいちいち気が利いている。とくにジョンソン博士から拝借した「悲しみを制御する」(‘Regulating Sorrow’)というのは、抜群ですね。しかし読み応えがあるのはやはり、じっさいに親交というか、接触のあった作家についてのエッセイだ。私小説的な瞬間をかいま見ることができるのも、こういう同時代人についてのエッセイのなかにおいてなのである。たとえば数年前に他界したアップダイクを追悼する文章。

アップダイクの世界はしばしば皮相で安寧に堕した場所のようにみえる。白人男性の、もっぱら中流階級からなる郊外の、家と家族と子供とゴルフと酒の世界。そしてもちろん不倫も ― ナボコフの言葉をかりれば、凡庸をこえるためのもっとも凡庸な方法だ。しかし、男くさい勇猛果敢さの賛美者とおもわれているヘミングウェイが、臆病というものについて書いてもっとも巧みであるように、いつまでも続くかのような平々凡々たるアメリカを描いたアップダイクもまた、絶えず逃亡について書いているのである(中略)これがアップダイクの登場人物の背後にあるパラドクスだ ― どこか遠くへ、しかし安全に。(202)

こうやって、あくまで小説のなかにおける逃亡への憧憬と躊躇を論じていたはずのジュリアン・バーンズだが、文章はいつしか重心をうつす。話題はいつの間にかアップダイクの実人生そのものに横すべりしていき、気がつけば、「死」という最後の逃亡先に向けてためらいつつも走り去っていったアップダイクへの痛切な追悼文となっているのである。息づまるような郊外の閉塞感から逃げ出そうとしてかなわなかった、あのラビットの姿が喚起され、やがていつしかアップダイクその人の面影に重ねあわせられる。見事な構成力というほかない。こういうさりげないトランジションの妙技こそが、かれのエッセイの最大の美徳である。

しかし本書の白眉はやはり、上にも引いた、ペネロペ・フィッツジェラルドを論じる冒頭の章だろう。あるシンポで同席したおり、ジュリアン・バーンズは敬愛するこの老作家のもとに近寄っていって、直筆のサインをお願いする。

コーヒーを飲みながら、お気に入りの二冊にサインを頼んだ。『春のはじまり』と『青い花』だ。女史はその日の持ち物をつめこんだプラスチック製の買い物袋 ― 紫地に花柄がついていたように記憶している ― をしばらく探しまわっておられた。ようやく万年筆が見つかり、ながいながい沈思黙考があった後、女史は年少の小説家にむけて励ましの念をこめ、私的なメッセージを本の扉にしたためてくれたのである ― そのようにみえたし、私自身、そう期待していた。私はサインを見ることなく本をしまった。 イベントはそのまま進行。終了後、私たちはヨーク駅まで車で送ってもらい、ロンドンまで電車で一緒にもどることになる。(中略)キングズ・クロス駅に着くと、ふたりでタクシーに乗りましょう、と声をかけた。私たちはロンドン北部のおなじ地域に住んでいたのだ。「いえいえ結構ですよ」という答え。「地下鉄に乗ります。なんといってもロンドン市長が素晴らしい無料パスをくださいましたからね。」(女史がこう言うと、無料パスがすべての年金生活者に支給されているのではなくて、まるで個人的な贈り物として受けとられたかのようだった)(中略)タクシーに乗るよう説得したが、無駄だった。地下鉄を使うとあらかじめ決めていたのだった。それなら仕方ない。それで私は駅構内までおともし、そばで待っていた。女史は無料パスを探して、あの混乱をきわめた買い袋の中をガサゴソやっておられたのである。「ここかしら。やっぱり。あら、違ったわ。」私はこの時点でちょっと苛々してきていたので ― それが顔に出てしまったのかもしれない ― 、女史を券売機のところにまで連れていって切符を買い、エスカレーターで一緒にノーザン線の乗り場まで降りた。電車を待っていると、女史はふいにこちらを向き、優しくいたわるような表情で、こう言う。「ああ、ごめんなさい。なにか低俗な乗り物にあなたを連れこんでしまったみたいね。」帰宅しても笑いが止まらない。そして、あれだけ長い時間をかけて練られたサインを読もうとして、本を開いたのだった。『春のはじまり』には「幸運を祈って、ペネロペ・フィッツジェラルドより」。『青い花』のほう ―こちらを書く際にはさらに長いあいだ思案しておられた ― にはこう書かれていた。「幸運を祈って、ペネロペより」(1-3)

ペネロペ・フィッツジェラルドの素っ気ないサインのくだりは、もちろん可笑しい。しかしそれ以上に、年金生活者に万遍なく配布される無料パスを「まるで個人的な贈り物であるかのように」にぎりしめて地下鉄に乗りこむ老作家、というジュリアン・バーンズの観察眼が絶妙である。58歳にして処女作を出版したという、この遅咲きの女流作家の小説を読んだことはないけれども、万事につけ抑制的でありながら、あくまで頑固、そしてどこかエキセントリックな老婦人のたたずまいが目に浮かぶようだ。こういうちょっとした、しかし本質的なエピソードがあるからこそ、「路線図のない小説」云々という抽象的な文学論も生きてくる。電車のメタファーにもしっかりと伏線が張られていたわけである。これぞジュリアン・バーンズの随筆の至芸。イギリスの作家はいちど名声を確立すると、雑文を書くのをやめて小説に専念する傾向が繁くみられるが、ジュリアン・バーンズにはこの調子でエッセイを書き続けてほしい。日常生活とそこに生まれる文学を「窓ごしに」みつめ続けていてほしい。そんな我儘な期待もふくらむ一冊である。

2013年2月17日 (日)

丸谷徳嗣 on 須山静夫『クレバスに心せよ!』



須山静夫
『クレバスに心せよ!――アメリカ文学、翻訳と誤読』(吉夏社、2012)
Reviewed by 丸谷徳嗣

本書が出版されてぼちぼち一年近く経つ。著者はフォークナー全集の『八月の光』(冨山房、1968年)やオコナー『賢い血』(ちくま文庫、1999年)の訳者としてかろうじて知られているぐらいだろうか。筆者のようなアメリカ文学を専門とする者にとっては、『神の残した黒い穴――現代アメリカ南部の小説』(花曜社1978年)という研究書がとりわけ有名だが、小説家としてもデビューされていて、数冊ではあるが作品があるらしい。本書の校正中、2011年に他界されたとのことである。

翻訳の仕事が多かった著者の、誤訳や誤読をめぐる話が本書の眼目をなすが、だいたい研究者や批評家がするこういう類の議論は他人の粗探しに終始するのが通例のところ、著者は自らの誤訳も臆せず書き綴る。したがって、縦書きの本に英文がそのまま引用され、構文分析され、ときにはフランス語まで飛び出してくるので、研究の世界に身を置く者か、あるいはよっぽどマニアックなひとじゃないと、なかなか読み進めることは難しいだろう。

いや、文学研究の人間にとってもつらい本である。というのは、本書の後半、全体のおよそ半分程度は、聖書の翻訳、とりわけ死海文書のイザヤ書というものについての議論であり、話のほとんどがヘブライ語に纏わるものになっているのだ。繰り返すが、著者の専攻はアメリカ文学である。普通はアメリカ文学の研究者がヘブライ語について語ることなどまずありえない。

「須山のヘブライ語学習のいきさつ」によると、著者が長年教鞭をとっていた明治大学の大学院では聖書の授業を担当していた。はじめは学生と一緒に邦訳と英訳を参照しながら読み進めていたのだが、そのうち違う本の間に正反対に近い訳文が出てきたことをきっかけに、原文を読んで疑問を解決するべく、片山徹『旧約聖書ヘブライ語入門』(キリスト教図書出版社、1981年)という本の助けを借りながらヘブライ語の勉強をはじめたのだという(155‐63頁)。

だから率直なところ、聖書の専門家が本書の内容についてどのように考えるのかはわからない。もしかすると、門外漢がたんにトンチンカンなことを言っているのかもしれない。それを判定することさえ、筆者には力の及ばないことだ。だが、実はそんなことはどうでもいい話なのだ。誤解をおそれず言えば、著者にはもとより、新しい解釈にたどり着こうなどという目的はないのだろう。あるのはただ、正しい理解への渇望であり、あるいはむしろ、答えの出ない極限の地点に至ることへの密かな期待のようなものなのではないだろうか。

アルファベットの学習にはじまり、動詞の活用を経て、いよいよ問題の箇所、ヨブ記の第13章15節に話がもどってくるのだが、結局、歴史の深いテクストのことだけあって、版によってテクストをどのように読むかが違う、という結論に至る。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、つまり問題はついに解決されないのだ(179‐80頁)。

それでも著者はがっくり肩を落とすどころか、新たな問題、サムエル記下第13‐19章に記されているアブサロムへ関心をうつす。これについても、和訳、英訳、もとのヘブライ語を比較検証したあと、至った結論は、結局答えがないというものであった(188頁)。

こうした話を経て、話題はついに死海のクムラン洞窟で発見された死海写本にうつる。紀元前二世紀に書かれたものと推測されるこの巻物は、現在刊行されているヘブライ語聖書が底本としているレニングラード写本および新しい写本と、「ほとんど正確に一致している」のだという。これらの新しい写本ができたのは10世紀。つまり、両者の間にはおよそ1200年ものへだたりがあるのだ(190頁)。死海写本のイザヤ書を検証したあと、この感動を著者は、以下のように書き記している:

今、私の目の前には庭に咲いている赤い花、黄色い花、紫色の花がある。こういうものにちょっと目を奪われていたら、この写本の仕事は駄目になる。庭の向こうの通りを救急車が走る。その音に気を取られたら、とたんに間違い字を書くだろう。クムランの筆記者がいったん書いた字を消したところはいくつあったか。かりに彼が窓のそとに目をやったとしても、見えるのは、岩と砂利と砂だけだ。目を楽しませてくれるものは一つもない。空は曇っているかもしれない。晴れているかもしれない。その空も広々とした空ではない。周囲の岩壁で狭く限られている。こういうところに彼はいた。だから彼はこういう仕事をすることができた。
私の書棚には死海写本についての本が何冊かある。だが、私は怠けていて、そのほとんどを読んでいない。しかし、一つだけ覚えていることがある。ある著者はこう言っていた。聖マルコ修道院のイザヤ書を読むことは無意味に近い。今までに発見されていなかった宗教観が新たに発見されることはないからである、と。こう書いたこの人は、死海写本の筆記者の敬虔な熱意と、精神の持続的な集中力に感動しないのだろうか。すなおに感激する心を抑えつけたのか。(264頁)

ここへ至ってようやく、読者は本書が書かれた理由を知る。それは著者が目にした先人たちの翻訳という「仕事」への感動であり敬意であるが、彼らに少しでも近づくべく著者が生涯をつうじて積み上げてきた努力と研鑽は、「仕事」をなしたいという願望よりも、おそらくは生来の、単純な好奇心によるものだったのだろう。

「あとがき」にあるように、著者が「フランス語を勉強していた」のは25、6歳のころであるようだ(271頁)し、ヘブライ語にいたっては55、6歳のときに勉強をはじめている。「仕事」というのであれば、それぞれの分野に専門家がいる。アメリカ文学の研究者であれば、アメリカ文学の研究をするしか、普通は「仕事」をなす術がない。

そんなことはない、著者は死海文書から、ほかでもない精密無比な「仕事」の偉大さを学んだではないか、というひともいるだろう。それはその通りだ。著者も、自身の「仕事」であるメルヴィルの『クラレル』翻訳との関連を持ち出しもする。だが、それは原因と結果を取り違えてはいまいか。須山静夫というひとは、なにかを学ぶためにヘブライ語を勉強し、聖書や死海写本を読んだのではない。聖書のわからない箇所を理解したくて、あるいは死海写本を読み進めるうちに浮かんできた疑問に駆られ、結果としてクムランの筆記者の熱意と集中力に感動するに至ったのだ。アメリカ文学研究者としての自分の「仕事」になにかを生かそうという考えは、ほとんど二次的・副次的なものにすぎなかったように、筆者には思われてならない。

本書を通読して思うのは、実はこれは読書のもっとも幸福なあり方のひとつでもあるのだろうということである。読解や翻訳という「作業」、「仕事」はとてつもなく骨が折れる。外国文学ともなると、参照せねばならないのは原文だけではなく、多くの場合、歴史・社会・文化など、作品や作家をとりまく世界についての膨大な量の調査を行わねばならない。途方もない熱意と集中力が必要なのだ。著者は、それらにむかう活力を、自身の好奇心をエネルギーにして漲らせることができた、稀有な人物である。おそらくはクムランの筆記者に対して著者が抱いたように、そのような偉大な「仕事」を幸福や快楽としてなせてしまう著者のような人物に、筆者としてはただただ感服と驚嘆を禁じ得ないのであった。

2013年1月14日 (月)

丸谷徳嗣 on 安藤宏/太宰治

安藤宏
『太宰治 弱さを演じるということ』(ちくま新書、2002年)
Reviewed by 丸谷徳嗣

本を読んだり、あるいは映画を観たり音楽を聴いたりしたとき、また、とくにそういったものに心を揺さぶられたときに、その「魅力」を他人に語って聞かせる、ということは案外、というべきなのか当然、というべきなのか、結構難しいものだ。

「あれ、いいよ」とぽそっといっただけで実際に手にとってくれるようなひとなんてのは、実はある程度趣味を共有していることがわかっているひとぐらいで、みんなそれぞれ毎日それなりに忙しいから、ちょっと「おススメ」を口にしたぐらいじゃ本当に触れてはもらえないだろう。 自分が「面白い」と思ったものを、自分じゃないほかのだれかにも「面白い」と思ってもらうこと――「魅力」を語るということの意味は、そういうものでなくてはならないはずだ。

しかしながら、これはとてつもなく骨の折れることなのだ。というのは、他人に「魅力」を語りたい、と思って実際に語ってはみても、その本なり映画なり音楽なりが好きであればあるほど、「自分以外の人間にこの面白さがわかるわけがない」というような想いも、同時にいだいてしまうように思われるからだ。

「わかるわけがない」というのはつまり、「わかってほしくない」という願望の表れなのだけれど、好きであればあるほど、「自分こそが真の理解者でありたい」というエゴがはたらくのである。それは端的に、他人にむけてなにかについて「語る」という行為そのものが、度し難く自意識の発露でしかないからだろう。わかってほしいけど、わかってほしくない――なにかの「魅力」をだれかに語ろうとするひとは、いつもこういうワガママと折り合いをつけなければならないことになる。

本書で安藤宏がいうように、このような事情は、日本の近代文学においては、なによりもまず太宰治をめぐるものであった。それはたとえば、「太宰治シンドローム」(13-14頁)、「傷つけあうのはやめておこうよ症候群」(14頁)、「青春のはしか」(22-23頁)など、しばしば「病気」として語られている。

つまり、太宰の小説にはどうしようもない若さゆえの「青くささ」がこびりついているのだ。このことを嫌うひとは多いのかもしれないが、安藤によると、奇妙なことにそういうひとは、「かつて熱狂的な太宰の読者であったケースが多い」(同頁)。未成熟な青年から大人になるにつれて、太宰の「青くささ」には耐えられなくなっていくのかもしれないし、ある意味ではそれは、自然ななりゆきのようにも思われる。

さらにいえば、「大人」が太宰を好きだというのは、思いのほか恥ずかしいことだったりするのである。だが、「わかってほしいけど、わかってほしくない」という自意識を持つひとにとっては、だからこそ「魅力」の語りがいがあるというものなのではないだろうか。

恥をしのんで、自分を例にして語ることにしよう。筆者も太宰がかなり好きで、たとえば「人生の一冊は?」と聞かれたら、迷わず「『人間失格』です」と答えたいと、実はひそかに思っている(太宰のベストがこの作品である、という意味ではない)。

それにはいくつか理由があるが、まずはたまたま筆者の読書体験が、太宰の主要作品を、『晩年』から『人間失格』にいたるまで、ほぼ年代順にたどるものであったということがある。つまり、初期のものから順に手にとり、一見明るい中期をへて後期の作品を読むにいたって、やはり、作者自身の自殺、あるいは太宰治そのひとと、大庭葉蔵=『人間失格』という作品を切り離して考えることが、ほとんど不可能だったのだ。

実際に、太宰が玉川上水に身を投げたのが昭和23年の6月、『人間失格』が雑誌『展望』に連載されたのが、同年6月~8月にかけての三回であり、当時の読者は、この作品を、彼の自殺とほぼ同時に、遺書として、衝撃とともにうけとったのである。

いうまでもなく、作品とその作者とは別物だし、ましてや、登場人物と作者自身がまったくの同一人物であるとはいえないだろう。しかし、大庭葉蔵と太宰治にはかなりの共通点があり、いくら別人だといわれても、二人の人生と運命を重ね合わせてみたくなるのは、安藤もいうように、やはり「人情」なのではないだろうか(43頁)。

そして筆者も、多分にもれず当然、そういう読みをしてきたのだった。ふつう小説を読むとき、筆者は基本的には無関心で不真面目な読者でしかない。語り手や登場人物に一定の共感をいだき、同情したり反撥したり、あるいはそういったフリをしながら、内心ではつまるところ彼らは他者でしかないのだと、結局これも作り話なのだと、うそぶきソッポをむいているのである。

もちろん太宰についても事情はかわらないはずで、筆者は太宰ではないし、生まれ育った場所や時代や境遇は全然ちがう。それでも彼の言葉は、ほかのどんな大作家の、どんな名作たちよりも、僕の心に響いてしまう。 例によって、太宰や葉蔵に一定の共感をいだきつつ、根っこの部分では「わかるはずがない」と思いつつ、それでも僕には、もしかしたら、どこかでつながっているんじゃないか、そんな気がしてならないのだ。

そしてさきにも触れたとおり、これこそがまさに典型的な「太宰治シンドローム」なのだ。著者の安藤でさえも決してその例外ではなかったことを、正直に告白している。「あとがき」から引用しよう:

太宰に関する著名な論考を読んだり世評を耳にするにつけ、自分は決して太宰の「正しい」読者ではない、デカダンな反逆思想に共感できず、むしろそれを語る身振りや自意識にばかり関心が行ってしまうのはどう考えてもエキセントリックなのだ、という思いが消せなかったのだが、しかし、実はそのように、自分だけが異端の読者だと感じること自体が、いわゆる“太宰信者”に共通する現象でもあったようなのである。 (215-16頁)

このような「個人的な」太宰経験をもとに安藤が試みるのは、「無垢ゆえに世間の思惑に利用され、排斥されていく一人の殉教者」、「その背後にある…徹底して社会の偽善と戦う作者」という、「自己破滅的な作風をもって社会の権威に立ち向かう『無頼派』」の「神話」(43頁)を解体し、太宰治に現代的な価値をみとめようとするものである。

それに際して話の導入として、「現実との疎隔感」(10-11頁)、「一人だけ違うという不安」(23-25頁)などといった表現とともに、戦後五〇年以上の間におきた「孤独」の意味の変化に、身近な学生たちの例を引きつつ言及しながら語られるのが、「以前の『神話』よりもずっと身近な等身大の存在」(12頁)、すなわち現代的な孤独の体現者としての太宰治像である。

それは、反逆や倫理、そのどちらでもない、太宰の「道化」のふるまいであり、人間関係を忌避し、罪深き者であろう、人間失格者たろうとしながら、自己を卑下しつづけてきた、にもかかわらず、結局は許され、認められてしまう葉蔵の姿である。そこでは、罪/救いという地平は、途方もなくねじれ、屈折している。

言葉のとおり、まさに演技であったそのさまを、本書は身も蓋もなく白日のもとにさらしてみせるわけだが、「すぐれて普遍的」とくりかえすこのような安藤の読みは、実はそう真新しいものでもない。孤独や疎外を嫌いながら「ほかのだれとも違う自分」でありたいという自我の性格は、大学受験なんかでもよく耳にする「近代的自我」や「アイデンティティ」という使い古されたことばが意味するものと、基本的にはおなじだからだ。

したがって、本書はむしろ、スタンダードな太宰治入門であるといえるだろう。実際、『人間失格』における大庭葉蔵の運命についての読解などは、これまでになく的確なことばで表現したにすぎない、といっても過言ではないほどのものである。本書にも引用されている作品末尾の一節をひいておこう:

私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした。(新潮文庫、155頁)

この箇所――小説の、そして太宰=葉蔵の物語の、まさに終末――を読むたび、僕はほとんど泪をこらえきれなくなるのだが、せめてもの救いとして自分を否定しつづけてきた彼が、結局は「神様みたいないい子でした」と言われてしまうことのこの痛烈な皮肉を、安藤は「古典的な『悲劇』」からの「疎外」(41頁)と表現している。

安藤のアプローチは、彼のいう「文学」を構成する三つの要素、すなわち「人間」、「ことば」、「状況」という普段は混同されているものをひとつひとつ丁寧にときほぐすというものであり、それこそは、ほかでもないアカデミズム的な「研究」のアプローチである。

だが、研究に身をおく人間のほうが圧倒的にかぎられていることなど、いうまでもない。この世界に生きるほとんどの人間は、専門的な「太宰研究」などとは無縁なのだ。実際安藤も言及しているとおり、太宰治本人も、「学問」的な態度を毛嫌いしていたのである(216-17頁)。

それでもあえて「研究」の方法を取るのは、安藤の、太宰への、一途な愛の要請による:

ある対象(作家)の特質を引き出すためには、その作家がもっとも嫌ったやり方で攻めるのが有効であり、それがまたもっとも深い愛情の表現なのではないか。少なくともそれを信じぬ限り、どうして太宰をこよなく愛する人たちにその「魅力」を語るなどという大それたことができようか。(217-18頁)

このようなレトリックすらも、「学問」に生きる人間の欺瞞であり虚栄でありエゴであると、太宰自身あるいは多くの読者はいうのかもしれない。

それでも、安藤自身が「文学研究」という「制度」に生きる者である以上、彼にはこのような愛しかたしかできなかったのであり、いくら「一般読者」にむけて太宰の「魅力」を語ったところで、彼の言葉には不可避に「研究」の影がつきまとうであろう以上、徹底的に「制度」の方法を用いて語る以外に、愛の表現のしようはなかったのだろう、と忖度される。

これを欺瞞だとそしるなら、欺瞞をまぬがれうる人間など存在しない、といっておかねばならないだろう。だから、みずからがくりかえす「普遍性」そのものが結局のところ度し難いイデオロギーでしかないことを、ほかでもない安藤自身が、おそらくだれよりも自覚しているように思われるのである。

したがって、彼の太宰への愛の告白は、欺瞞によるものというよりはやはり、至上の愛情表現であるというほかはない。ひとは「制度」やイデオロギーにまみれてひとを愛するよりほかに術がないのだから、そのようなどうしようもない「不自由さ」のなかで、だれにでもわかる客観的な言葉と方法のなかに、さりげなく主観をにじませ、囁くように自分の愛を表現することは、他者に「魅力」を語るうえで避けてはとおれないことなのだ。

著者は自分のおかれた状況と限界をきちんと把握し、そのなかで最善を尽くしているのである。そのような「宿命」をうけいれてこそ、われわれは他者にむけて、ほかでもないわれわれ自身として、なにかを語りだすことができるのだろう。

2013年1月 5日 (土)

丸谷徳嗣 on 越智博美『モダニズムの南部的瞬間』



越智博美
『モダニズムの南部的瞬間 ― アメリカ南部詩人と冷戦』(研究社)
Reviewed by 丸谷徳嗣

はしがきの冒頭で言われているように、本書はおそらく一般的に了解されているような、おもに作品の分析・読解にかかわる類の批評・文学研究の本ではない。作品について議論しているのは第五章のみで、全体としてはいわば、批評の批評あるいはアメリカ文学研究の歴史研究といった体をなしている。

本書の内容はしたがって、このような場で紹介するにはいささかマニアック、というよりは、専門的にすぎるだろう。「アメリカ南部文学」や「新批評」なんていう用語は、ある程度文学のアカデミズムに詳しいひとじゃないと知らないだろうし、忌憚なく言えば、本書の議論もなんのおもしろみもないと思う。

だが、とりわけ戦後の日米関係という話題について考えるのであれば、本書の内容はそれほど遠い世界のものではないはずだ。「一九六〇年代に生まれ、『赤毛のアン』と『風と共に去りぬ』を母から勧められて読み、英文学科にはいった…紛れもなく『戦後』が育てた娘の世代である」(iv頁)という著者にとって、「リベラリズム」というイデオロギーの変容を後追いすることは、自身の立場を今一度確認するということを意味している。この事情が、「アメリカ南部文学」と「新批評」の戦前から冷戦期にかけての歩み――二〇年代にはアメリカ全体のリベラリズムに対する反動主義者であったアレン・テイトが、五〇年代には「アメリカ」という国の代表と目されることになる――のなかに浮かび上がるというのである。

著者にとっての問題は、八〇年代に起こった批評のパラダイム・シフトと、現在のネオ・リベラリズムに対する危惧であるという。著者が馴れ親しんでいた文学の「キャノン」は八〇年代にその自明性を失い、「文学研究」は既存の「文学史」の政治性と抑圧性を暴く方向に向かった。ニュー・アメリカリズムと同様、著者も文学作品に潜む抑圧の衣をはぎとるところから出発してはいるし、議論の批評的枠組みは主にジェンダーにまつわるものであるが、最終的にはすでに述べたように、文学研究にみるリベラリズムの系譜学であり、アメリカ文学史の歴史である。

だからもちろん、本書の議論は文学と政治、あるいは文学の政治性についてのものなのだが、不思議なのは、なんというか、著者自身の「主張」があまり聞こえてこないというところだ。ニュー・アメリカニズムもそうだし、フェミニズム批評や人種批評なんかはいうまでもないが、「抑圧」に対する「告発」がなされるときに文学作品が便利なのは、物語には(あるいはもっと根本的に「言葉」には、と言ってもいいのだと思うのだが)、「抑圧」がつきものだからである。なにかが語られたということはほかのおびただしいなにかが語られなかったということなのであり、「物語」とはそのようにしてしか成り立たない。そして、「系譜」や「歴史」を整理するというのも「物語」化するということにほかならず、くだけた言い方をするなら、どんなに主観や恣意性を排除しようとがんばったところで「抑圧」を避けることなど誰にもできないのだ。これが、今日の批評のきわめて常識的な認識である。

だから、「歴史」にももちろん、その歴史を語るひとの「意図」があるはずで、そこが言ってみればつつきどころなのだけれど、本書にはそれがあんまり見えてこないのだ。おそらくこれは、本書の結びの言葉からも明らかなように、著者が研究者としてアカデミズムという制度を信頼しているからなのだろう。きみね、研究者ならばそんなことは当たり前なのだよ、とお叱りの声がとんできそうだが、これは「努力」うんぬんのレベルの問題ではなくて、たぶん性格の問題だ。もっとわかりやすく階級化するために、「質」の問題だと言ってもいいかもしれない。

「アカデミズム」の側からみれば、制度を「信頼」できるひとが優秀なのであって、それができないひとはダメ、ということに、もちろんなるだろう。「制度の研究をするものが制度の枠のなかから出ることはない」――これは妥協や諦念ではなく、著者の礎となっている覚悟であり信念である。「そこで言葉を発信することに希望を見出し」、「言説の配置が揺らぎ、少しずつ変わっていく」ことに期待をかける(296頁)という著者の言葉は、「文学」の宣言ではなく、「アカデミズム」や「批評」のそれなのだ。だからこそ、本書はやはり立派な研究の成果なのである。

おもにはしがきやあとがきに書かれている著者の態度という外枠について紹介してきたが、単純におもしろいかどうかは別として、筆者のようなアメリカ文学を専門とする学生にとっては、本書は大いに勉強になる内容であると同時に、資料を「めくり倒す」という「愚直な作業」(vii頁)の偉大さを、これでもかというほどまざまざと見せつけられるものであった。と同時に、やっぱりこういう「仕事」は、「デキる」ひとにやってもらって、自分は作品ばかり読んでのんびりしていたいな、などと思ってしまう自分に嫌気のひとつもさしてしまうのだが、それはまた別の話である。

2012年12月31日 (月)

斎藤悠樹 on Mcewan (後編)



Ian Mcewan
Sweet Tooth (London: Jonathan Cape, 2012)
Reviewed by 斎藤悠樹


2.「メタフィクションのリアリズム」

エドマンド・スペンサーの詩を題材に博士論文を執筆、いまではサセックス大学に講師の職を得ている、小説家志望のトム。MI5が目をつけたこのトム・ヘイリーという男には、どこか若いころのマキューアンを思わせる面影がある。彼の短編を支配する荒廃の風景は、「イアン・マカーブル」と呼ばれていたころマキューアンの作風に、奇妙なほど似かよっているのである。歪んだ愛情、ディストピア、性と暴力と過剰(実際、サセックス大学はマキューアンの母校である)。マキューアンの分身でもある、この小説家志望の若者に接触するために、セリーナはサセックス大学を訪れる。

「君の専攻はなんだったの?」
私は躊躇した。言葉が出てこなかった。こんなことを聞かれるとは思ってもいなかったし、突如として、数学専攻というのはなにか相応しくないような気がしてきた。それで思わず「英文学です」と言ってしまったのだ。
 やっと共通の話題が見つかったことに満足してしているようで、かれは愉快そうな笑みを浮かべた。「首席だったんじゃない?」
「いえ、二位でした。」なにを口にしているのか、自分でもよくわからなかった。三位というのは屈辱的なような気がしたし、主席といえば危ない橋を渡ることになるだろう。私はすでに二つの不必要な嘘をついてしまった。失態だ。(141)

もちろんそこは新人スパイ、失敗はつきものである。しかし彼女はこの窮地をなんとか凌ぎ切り、心理ゲームで攻勢に立つ。

「それで君はぼくの小説を読んでくれた?」
「もちろんです。」
「どう思った?」
「私はたんなる使い走りですから。私の意見なんて重要じゃありませんよ。」
「ぼくにとっては重要だよ。ねえ、どう思った?」
 室内の闇が深まったようだった。私は彼の頭越しに窓のほうを眺めやった。芝生を植えた区画があり、さらに別の棟の一角が視界に入ってくる。(中略)私はふたたび視線を彼のほうに向けた。また目が会ったので、力をこめた。なんともいえない暗緑色の瞳の色、子供のように長い睫毛、濃く黒いまゆ毛。彼の目には躊躇の色が浮かんでいた。こんどは形勢が逆転して、彼のほうが視線を反らそうとしていたのだ。
「ほんとうにブリリアントだったと思います。」私は声を落として、静かに言った。
 胸を突かれたように、いや、あたかも心そのものを突かれたかのようにして、彼はひるんだ。そして声にならない小さな喘ぎをもらした。彼は私のことをじっと見つめ、話の続きを待っていた。もっと自分のこと、自分の才能のことを語ってくれないかと。だけど私は我慢した。しゃべりすぎると、言葉の効果が薄まってしまう。それになにか深遠なことを口にできるという自信もなかった。私たち二人のあいだを隔てていた、どこか堅苦しい感じがすべて剥ぎとられ、目もそむけたくなるような秘密があからさまになっていた。私は彼のなかの飢えを明るみに出してしまったのだ。肯定への、賛辞への飢え。とにかく私が満たすことのできるもの全てへの飢え。彼にとってこれ以上に重要なことも無かったのだろう。彼の短編小説が書評で言及されることなど、皆無だったに違いない。ただ編集者がねぎらいの言葉をかけて、ポンと頭を叩いただけ。これまで誰一人として、彼の小説がブリリアントだなんて言わなかったはずだ。ましてや赤の他人からそう言われようとは、夢にも思わなかったに違いない。(142-3)

ここで展開されているのは、いかにもマキューアンらしい心理劇のサスペンスである。トム・ヘイリー(とかつてのイアン・マカーブル)によって描出された、性や暴力の氾濫するディストピアの幻想などと比べても、よりいっそうパーソナルで危険な感覚。マキューアンの本領が発揮されるのは、こういう正確な心理描写をつうじて、物語を後追いしていく読者の飢餓感そのものを煽りたてるときである。露骨に、かつ無慈悲に。期待という心の動きのはしたなさを暴き出すようにして。物語を欲するという人間の本能のレベルで、読者の胸の内がえぐられる。文体のスピードと物語の速度が一致して、読者を共犯関係へと駆りたてる。鼓動が高まり、ページを繰る手が震える。いわゆる「ナラティヴ・サディズム」である。

『スイート・トゥース』はすでに中盤に差しかかろうとしている。いくぶん煩雑とも思える伏線をへて、ようやくプロットがすべり出した。文体もキレを増している。あとはセリーナがスパイの身分を隠したまま、どうやってトムの心の襞のうちに潜りこんでいくのかを待つばかりだろうか?まだ初々しさを残してはいるものの、そこかしこに狡猾さの片鱗をみせる新米女スパイ、セリーナ。あらゆる廃墟趣味、絶望趣味、荒廃趣味にもかかわらず、根は純朴な大学講師、トム。このふたりのあいだの奇妙な恋愛劇が展開していき、やがて破局をむかえるのを待っていればいいのだろうか?マキューアンの熟練の筆さばきを信頼して、加速する物語のサスペンスに、ただただ身を委ねていればよいのだろうか?答えはイエスでもあり、ノーでもある。

というのも、残りのページを埋める恋愛劇もセリーナとトムの二人の肖像も、どこか書割めいていて、いまひとつ明確な輪郭を結んでこないからである。セリーナはあいかわらずMI5の庁舎でデスクワークに追われていて、週末になるとブライトンのホテルを訪れる。そこにはタイプライターを一心にたたくトムの姿があり、やがて彼の小説は「ジェーン・オースティン賞」にノミネートされるだろう。マスメディアの注目度に比例するようにして、セリーナに対しても疑惑の目が注がれるようになる。あまりにあっけない成功を前に、はじめはセリーナの無垢を信じていたトムの心にも一抹の疑念がよぎる。そしてついにすべての秘密が明らかにされ、破局の瞬間がやってくる。トムは行方をくらまし、わずかに残されたのは置き手紙だけ ―

こういう破滅の瞬間に向けて物語を加速させ、読者の心をひきずりこんでいくのはマキューアンのお手の物だったはずである。しかし小説は奇妙なまでに脱線をくりかえす。夥しい数の登場人物があらわれては、物語の前景をふさぐ。あまりに多くの伏線が入り乱れてくるせいで、読者の注意を削ぐ。そもそも肝心のセリーナとトムの肖像が一面的で、いっこうに正しい焦点を結んでこない。二人の言動は、愛が深まるにつれて、それこそ下手な恋愛小説のように芝居がかってくるのである。そしてトムが残した置き手紙が、これらすべての伏線と登場人物の謎に、いくぶん唐突な回答を与えることになる。

問題なのは、ぎこちないプロットの展開にしても、不必要に多い登場人物にしても、こういうすべての瑕疵が、おそらく意図的に準備されているところだ。マキューアンもトム・ヘイリーもあらかじめ知っている。セリーナがスパイの身分を隠していること、突然の文学賞の授与の裏にMI5の後押しがあったこと、いつしか作戦の全貌が明らかになるであろうことを。そしてなにより小説自身が、すべては架空のお芝居にすぎないことを知っている。要するに、これは物語を紡ぐという行為そのものをめぐる思索、もっと端的にいえば、いわゆるメタフィクションなのである。心理小説の息を呑むような切迫感と、メタフィクションの雲をつかむような抽象性が、微妙な均衡をたもつ。小説の最後に付されたトムの手紙は、急ぎ足ですべての伏線を回収し、あらゆる人物に然るべき位置を与え、そしてまた小説の冒頭に立ちもどる。女スパイの手記という体裁によって幕を開けたこの物語は、じつは最初から小説家トムの手によって書かれていたのだろうか…

唐突なメタフィクションの混入にニヤリとする読者にしても、肩すかしをくらった気分の読者にしても、思うところは同じだろう。『スイート・トゥ―ス』のマキューアンは結局のところ、なにをやりたかったのだろうか?読者の臓腑をえぐるような心理小説と、緻密なパズルのようなメタフィクション、そのどちらを目指していたのだろうか?小説の最後に付されたトムの置き手紙は、こういう疑問に対して、明快な答えを提出している。「両方とも」と。

それで数時間後、ブライトンの浜辺でぼくらは愛しあった ― 厳密にはホーブで。ラブと半分韻を踏んでるけど、あまりロマンテイックな響きじゃないね。(中略)警官が歩道を通りがかっていたら、公序良俗に反するということで、ぼくらを逮捕したかもしれない。でもぼくらのまわりに紡がれているこのパラレル・ワールドを、どうやって警官に説明すればいいだろう。一方の軌跡においては、ぼくらは互いを欺きあっている。ぼくにとっては初めての経験だけど、君のほうは慣れたものだろう。この欺瞞にはおそらく中毒性があって、そして致命的なほどに危うい。もう片方の軌跡のなかでは、恍惚をつうじて愛にいたる感情がたしかに存在する。ぼくたちはついに輝かしい絶頂に達して、愛の囁きを交わしているのだけれども、しかしお互い秘密を口にすることは決してない。うまくやれるはずだと思うよ。まるで目に浮かぶようだ、ふたつの密室はぴたりと隣接していて、しかし一方の部屋のねばつくような異臭がもう片方の部屋にまで侵入することは決してない。甘美な香りはそのままなんだ。(311)

手のこんだメタフィクションの紙細工を、背筋も凍るような冷たい戦慄によって、その隅々にいたるまでひたすこと。あるいは煙となって消えていくかのようなメタフィクションの奇術に、身を切るような痛みをおぼえること。心理的リアリズムの異臭とメタフィクションの芳香をいちどきに、しかし両者が混ざりあうことがないよう振り撒くこと。『スイート・トゥース』が試みているのは、こういう離れ業である。はたしてそれが成功しているかどうかはわからない。マキューアンは物語の架空性を強調しようとして、あえてぎこちない展開を選んだようでもある。ただいずれにしても、小説をめぐるもっとも本質的な問題を、熟練の軽い手つきでさばいてみせた作品であることは確かだ。メタフィクションなどと大仰な形容をするまでもなく、ここで問われているのは結局のところ、フィクションと感情移入の機制をめぐる謎そのものなのだから。小説の読者が、絵空事だとわかりきっている他人の人生に胸を痛めることできるのなぜなのか?そして、苦悶する心理の深淵をのぞいて戦慄を覚えたのも束の間、嬉々としてふたたび日常生活にもどっていくことができるのはどうしてなのか?『スイート・トゥ―ス』がつきつけているのは、こういう古くて新しい難問なのである。

ちなみに、ジョン・ファウルズの『フランス軍中尉の女』を読むよう、しきりに勧めてくるトムに対して、セリーナはこう答えている。「わたしはトリックは嫌い。ありのままの人生がページのうえに再現されているのが好きなの」(184)と。トムの反論はもちろん、トリックなしに再現される人生など存在しない、というものである。

2012年12月24日 (月)

斎藤悠樹 on Mcewan(前編)



Ian Mcewan
Sweet Tooth (London: Jonathan Cape, 2012)
Reviewed by 斎藤悠樹


1.「地味な時代から帰ってきたスパイ」

気がつくといつの間にやら現代イギリスの国民作家となっていた感のあるイアン・マキューアン。近年では扱うテーマも地球温暖化であったり、アメリカ軍によるイラク攻撃前夜の外科医の一日であったりと、多かれ少なかれ現代社会へのコミットメントを意識したものが少なくない。しかし、最近のインタビューなど見ていると、そういう公的な期待を背負わされることに、マキューアン自身がいささか辟易してきているようで、マスメディアの喧騒を逃れ、ひとり静かに思索する時間がほしいとのこと。実際、単語を舌のうえで転がすような独特の話しぶり一つをとってみても、マキューアンはどこか変わったところのあるマイルド・エキセントリックで、最近の桂冠詩人などにありがちな、いかにも人あたりがよい「普通の人」とは、どことなく異なっている。

といっても完全な変わり者ではないあたりが、マキューアンの作家としての自己造形の巧みなところかもしれない。スター作家としての期待は決して裏切らない。しかし、キャリアのところどころ、絶妙なタイミングでいったん現代から距離をおいては、なんとも渋いところを狙ってくるのである。そんなマキューアンの「ちょっと変わったところ」のなかでも特に興味深いのは、彼が好んで「戦後」という時代を選び、たびたび物語の背景にすえてきたところだ。歴史小説というほどでもない昔、近い過去の物語である。

たとえば、今日のおおくの小説家がヴィクトリア朝にノスタルジアをいだく事情はよくわかる。いちども体験したことのない時代に懐旧の念を覚えるというのもまた妙な話だが、ノスタルジアは元々そういう心の動きで、喪失の錯覚をみずから作り出すことによって、自分のものでない時代におのずと接近することができるようになる ― 最初から持っていなかったものを失うという幻想をつうじて、決して手の届くはずがないものに手をのばす。そもそも喪失しえないものを喪失してみせることで、逆説的に所有の感覚をたぐりよせる。濃霧につつまれたロンドン、煤煙の底ににじむガス燈の灯、うっすらと照らしだされた赤煉瓦の建築、馬車馬の蹄鉄が石畳を打つ響き、今日ではヴィクトリア朝イングランドのすべてが柔らかな郷愁を誘うだろう。滑稽なまでに厳格で抑圧的なモラル・コードもまた、礼節の観念などきれいさっぱりと消え去った現代にあっては、かえって懐古の対象になっているのだから不思議なものである。

あるいは、マキューアンの『贖罪』の舞台となった戦間期。そこにはハイ・モダニズムの黄金時代があり、無限につづくかのような中産階級の安息に満ちた生活があり、これを脅かす共産主義とファシズムの台頭があり、そしてなによりも、やがてくるべき戦争と荒廃の予感がある。数世代に渡って受けつがれてきた中産階級の生活、その長く緩やかな持続が突如として断たれるさまは、小説の題材としては、やはり魅力的というほかない。

しかし現代を対象にする場合をのぞけば、マキューアンが好んで再訪する過去というのは、どういわけか「戦後」なのである。それも物語の背景としては、なんとも味気のない時点ばかり。おなじ「戦後」といっても、これが60年代後半、つまりロックン・ロールと性革命によってもたらされた祝祭の只中の物語であれば、まだそれなりの花やぎがあるし、現代へとつらなる話題も豊富である。マキューアン自身、こういう解放の時代の申し子であることを隠していない。なにしろデビュー当初のマキューアンは、性と暴力の過剰ばかりを書いて、「イアン・マカーブル」などと仇名されていたのだから。

だが『イノセント』の純朴で冴えない理系の青年といい、『オン・チェジルビーチ』の不器用な新婚カップルといい、マキューアンが愛惜をもってえがいてきた若者たちは、そんな解放がはじまる前の時代に生きていたのだった ― 前者は戦後すぐのベルリンに、後者は60年代初頭のイギリスに。社会は戦争のもたらした荒廃からいまだ完全には立ち直っておらず、冷戦の現実と核戦争の予兆が重くたちこめる。祝祭の時代はもうすぐそこまできているのだけれども、それは曲がり角のむこうのようなもので、歩道のうえからは見通すことができない。だから、マキューアンが好んで描く「戦後」は、高揚の予感そのものを退けた時代、どこまでも地味で陰鬱、くすんだ時代である。あらゆる意味での貧しさが時代を支配している。実際、この時期のイギリスの文学を代表する作家を列挙してみても、豪奢なラインナップとはとても言いがたい。おそらく、ただフィリップ・ラーキンだけが、こういう窮乏と空白の感覚を逆手にとって、喪失の手応えそのものを喪失したかのような、そして期待という心の動きそのものをこばむかのような、忘れがたい詩句の数々を生み出した。

マキューアンが「地味な戦後」にこだわっているのは、ひとつにはラーキンのこういう影響があるのかもしれない。ラーキンへの尊敬の念は、かれの言動の端々にうかがえる。しかしマキューアンの描く戦後は、ラーキンによる幻滅の(非)ヴィジョンとは、ずいぶん相貌を異にしているのも事実なのである。マキューアンにとっての戦後とはなによりも、精妙な心理劇の舞台であり、豪奢な時代の誘惑に気をとられることなく、ただひたすら登場人物の心の動きを丹念に追うことを可能にするような、透明な媒体なのである。だから、厳密にいうと、わざわざ過去に題材を求めた小説としては奇妙なことに、時代は「背景」ですらない。時代の雑音を遠ざけて、心理の動きを正確に追うために準備された、無色透明な時空間。それがマキューアンにとっての戦後なのである。

新作『スイート・トゥース』においてマキューアンが描出している光景もまた、そういう「地味な戦後」の系譜に連なるものである。主人公の女スパイが語り出すのは70年代のはじめ。この時代の生彩の無さは、祝祭のあとの疲労と脱力によるものだから、終戦直後のくすんだ雰囲気を想像するのとは、また勝手がちがうのかもしれない。しかし地味な時代背景が透明な媒体となって、登場人物の心理の動きをかえって精妙に伝えているという意味においては、そこにはやはり連続したものがあるように思われる。その証拠に、花やかな動乱の60年代は、この不器用な女スパイの回想のなかで冷ややかな一瞥を与えられるにすぎない。

60年代の後半はきらびやかだったけれども、私たちの生活を乱すほどではなかった。病欠でもないかぎり、一日たりとも学校を休んだりはしなかった。たしかに10代の後半にもなると、へヴィー・ペッティング(当時はそう呼ばれていた)に煙草、アルコールにほんのわずかばかりの大麻、それにロックン・ロールのレコードがあふれかえっていて、ときに庭にめぐらした塀を越えてくることもあった。もっと色鮮やかな色彩、よりいっそう情熱的な人間関係、こういうものが至るところにあった。17歳の私も友人も、みな臆病で陽気な反抗者だったのだ。結局のところ学校の課題はこなしていたし、動詞の不規則変化や方程式、国語の登場人物の心理なんかを、丸暗記してはまた忘れるという日々。自分たちのことを「悪い女」と思いたかったけれど、実際には私たちは優等生だった。(中略)18歳になるまで、奇妙なことも、恐ろしいことも、なにひとつ私の身に降りかかりはしなかった。そういうわけで、この時代はスキップ。(2)

アングリカンの牧師の娘として堅実な家庭で育ったセリーナ・フリュームにとって、祝祭の時代はたいした意味をもたない。そんな彼女の平凡な人生に転機が訪れるのは、ケンブリッジに入学した後のこと。セリーナは小さいころから寸暇を惜しんで小説を耽読していた、筋金入りの活字中毒だ。だから大学でも当然のように英文学を専攻するつもりだったのだが、母親の方針にしたがって、しぶしぶ数学科に籍をおく羽目になったのである。しかし、そこで恋人に出会い、さらに彼の指導教官であるトム・カニングに出会う。セリーナはこの老教授の愛人となる。しかしどういうわけか、カニン グ教授は唐突にセリーナを捨て、彼女の前から姿を消す。残されたのは、かつて諜報活動にも手を出していた彼の人脈のみ。このコネクションをつうじて、セリーナはMI5に就職することになるのである。

MI5のスパイといっても、ジョン・ル・カレのスパイ小説のような興奮を期待する読者は、肩すかしをくらうだろう。新入社員の彼女に任せられるのは、ごくありきたりの事務職となんら変わりのない、書類整理の雑務ばかりである。機密情報が回ってくるわけでもない。薄汚いオフィスに淀んだ空気、そして同僚とのあいだに生じる友情と軋轢。MI5のような諜報機関でなくとも、どんな職場にでもありそうな日常の光景だ。退屈しきったセリーナは、あいかわらず週に3、4冊のペースで小説を乱読する。読書へかける情熱が思いもかけない形で彼女のキャリアに影響することになるとは夢にも思わずに。

単調なオフィス生活は唐突に終わりをむかえるだろう。セリーナは、彼女の乱読癖を小耳にはさんだMI5の上層部から呼び出され、コード・ネーム「スイート・トゥ―ス」という作戦の遂行を命じられる。「スイート・トゥ―ス」は、MI5の反共プロパガンダに一役買ってくれそうな思想をもった作家に接触し、当の作家には作戦の詳細を伏せたまま、第三機関の基金をつうじて資金援助を行うという、いわばソフト・パワー外交の一貫である。セリーナが命じられたのは、トム・ヘイリーという作家に会いにいって基金の助成金を受けとるよう説得すること、そしてその後も適度な距離をたもちつつ、彼との接触を続けることだ。もちろん「スイート・トゥ―ス」は、MI5全体としてみれば大したことのない仕事であり、だからこそセリーナのような新入りに白羽の矢が立ったのだが、小説のプロットとしては、これがひとつの大きな山場になる。というのもセリーナはいつのまにか、ひょっとすると現実のトムに会う前から既に、かれを愛してしまっていたから ―

2012年12月17日 (月)

斎藤悠樹 on 'Procrastination'

Piers Steel
The Procrastination Equation: How to Stop Putting Things Off and Start Getting Stuff Done (New York: Harper Collins, 2011)
Reviewed by 斎藤悠樹


「先延ばしの方程式」

誰にでも一度は経験のある「先延ばし」。べつだんキレイ好きというわけでもないのに、テスト前になると急に部屋の掃除をはじめたり、やらねばらない至急の仕事が山積みしている時にかぎって、つい無関係なホームページを熟読してしまったり。こういう場合はいっそのこと早めに課題に取り組んでしまったほうが、かえって気が楽なのである。焦燥に駆られつつグズグズと先延ばしにしているときの心理状態のほうが、実際のタスクに取り掛かっている時の消耗よりもはるかに苦しいものであるのは、経験的にも周知の事実だろう。しかし頭ではそういう風に割り切っていても、なかなか実行に移せるものではない。というのも、人間の脳内には「先延ばし」への欲望が先天的にビルト・インされているから。

こういう心理の遺伝的なメカニズムを解説しつつ、その対策を打ち出すのが本書『先延ばしの方程式』である。著者ピアーズ・スティールは心理学を専攻して博士号を獲得、「先延ばしの心理」をテーマにいまなお研究を続けているらしい。書名からもわかるとおり、その方法はわりあい数学的であって、行動経済学などといった隣接分野とも密接にリンクしてくるという。要するに、人間行動の非合理性や衝動性を考慮にいれたうえで、これをなんとか定式化しようとするのが彼の学問の目的なのである。

「行動経済学」などという名称が出てくると途端にひるんでしまいそうになるのが、筆者のような根っからの文系人間の悲しい性だ。実際、本書の各章の冒頭には、かならずといっていいほど数式が付されている。「期待値×価値÷衝動性×遅延=モチベーション」というのが、「先延ばしの方程式」の最終的な到達点だ。こんな風に数式やグラフが出てくる世界は、そもそも文学とはまるで無縁なのではないだろうか…。しかしそう早合点して本を伏せてはいけない。なんとなれば、締切を先延ばしにするのは小説家や詩人の十八番だからであり、本書を彩る華々しい(?)エピソードの数々を提供するのも、締め切りに追われて苦悶する文学者たちの肖像なのである。

「先延ばし(procrastination)」は字面のとおりラテン語源であり、元々は“pro+crastinus”(“of tomorrow”)、要するに、「今日できることを明日に回す」という意味であったらしい。英語でも16世紀には早くもこの言葉が定着していて、本書にはロバート・グリーンの「遅延は危険をまねく、瀬戸際での先延ばし(“procrastination”)は災いの母に他ならない」という警句が紹介されている(59)。ロバート・グリーンといえばエリザベス朝末期に生きたシェイクスピアの同時代人。文筆によって生計を立てるという因果な稼業を実践した最初の世代に属している。つまり「職業としての英文学」は、その起源においてすでに、先延ばしという亡霊に取り憑かれていたのである。

“procrastination”という単語をみずから編纂した英語辞典にのせ、この一語を永遠のものとしたジョンソン博士もまた、迫りくる締切をまえに苦悩した文豪の一人であった。十八世紀のことである。十八世紀は指南本の時代だから、ジョナサン・エドワードの古典『先延ばし、あるいは未来を頼みにすることの罪と愚かさ』が書かれたのも、この世紀のことである。しかし、英文学史上もっとも壮麗な「先延ばし」を演じてみせたのは、なんといっても、ロマン派の詩人サミュエル・テイラー・コールリッジを措いて他にいない。「クーブラ・カーン」や「クリスタベル」といった代表作はついに未完に終わった。一応は完成に漕ぎつけた「老水夫の歌」でさえ、出版されるまでに五年の月日が費やされている。(80)

コールリッジの意志の弱さはいまや伝説的であり、ほとんど自己破壊的でさえある。例の阿片中毒の治療もズルズルと先延ばしにされることになった。「先延ばし」が致命的な病であることを、コールリッジ本人が自覚していなかったわけではない。リチャード・ホルムズによる美しい伝記にも、先延ばしをして、「チェリーパイの果実のあいだをどろっと滴り落ちるチェリージュースのようなもの」と形容するコールリッジの日記の一節が引用されている*。暗赤色に輝く不気味なイメージだ。コールリッジは阿片窟を徘徊するという悪癖を断とうとして、街のごろつき達を見張りに雇い、自分の行動を監視させることまでした。こういう他人の目を使った自己監視の方法は、現代医学にも形を変えて残っているらしい。しかし、阿片への欲望が限界まで嵩じて、もはや抑えが利かなくなったとき、コールリッジはみずから雇ったそのごろつきをクビにしてしまったのである…(168)コールリッジといえば、ワーズワースとの比較が付いてまわって、その意志の弱さが云々されるのが常である。当初の盟友であり、のちに決裂と和解を繰り返すことになるこの二人の関係は一筋縄ではいかないものだけれど、「先延ばし」という観点から両者をあらためて比較してみるのも面白いかもしれない。イギリス・ロマン主義というのは、畢生の大作の構想がつぎつぎに打ち立てられては、それが未完のまま延期されていくという、まさに先延ばしの文学であった。

もちろん本書はあくまで自己啓発本の体裁を取っているので、こういう文学史の薀蓄を披露するのを目的としているわけではない。「先延ばし」という病理への対処法を思案するうえでスティールが着目するのは、人間に遺伝的に備わった「衝動性」という性向である。衝動的に行動するヒトと先延ばしにするヒトでは、なにかにつけて好対照なようだが、物事を順序だてて計画的に進める能力が欠如しているという意味においては、実はなんら変わりがない。むしろ目先の誘惑に衝動的に身を委ねてしまうことこそが、先延ばしの最たる要因なのである。

「結論としては、衝動性は先延ばしというフィールドの中心に位置していて、他のいかなる性格的な特徴よりも強い結びつきを有している。自信の無さ(=期待値)と退屈への性向(=価値)もまた、物事を先延ばしにするうえで決定的な役割をはたしているが、その重要度は衝動性に遠くおよばない。(中略)通常の倍の衝動性を持つヒトは、一般的にいって、それだけ締切間際にならないと仕事に取りかからない。不幸なことだが、衝動的なヒトというのは、人生そのものをいつも先延ばしにしてしまうのである。歳を重ねれば衝動性もいくぶん減るし、すべての状況が衝動的な行動を引き起こすというわけでもないが、運命を逃れる術はない。衝動性というのは、ヒトに備わっているなにかというよりも、ヒトそのものなのである。」(162)

これが「先延ばしの方程式」の一番の核心だろう。まことに、性格というのは運命である。それで、本書では衝動的な誘惑に抗うためのプラクティカルな対策の数々が列挙されるのだが、未知の衝動に突き動かされる人間がまるでいないというのも、それはそれでなんとも味気ない社会ではないだろうか。Carpe Diemもまた文学の醍醐味。ついそんな風に考えてしまうから、また懲りずに先延ばしにする日々が始まるのである(なお本書には今年になって『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』と題して邦訳された、気になったら先延ばしにせず今すぐチェック!)

*Richard Holmes, Coleridge: Darker Reflections (Suffolk: Flamingo, 1998, 1999), 37

2012年10月28日 (日)

zkzk/ 『亡霊のアメリカ文学』『亡霊のイギリス文学』


松本昇・東雄一郎・西原克政編
『亡霊のアメリカ文学』(国文社)

富士川義之・結城英雄編
『亡霊のイギリス文学』(国文社)

「亡霊」と銘打たれていますが、いずれの論集も狭い意味での亡霊の登場にこだわらずに、精神分析から人種問題まで、広く「亡霊的なもの」をターゲットにした論がおさめられています。亡霊を取っ掛かりにこんなに議論をひろげられるのかとびっくりすることまちがいなし。

«zkzk/ 遠藤不比人『死の欲望とモダニズム』