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2012年12月17日 (月)

斎藤悠樹 on 'Procrastination'

Piers Steel
The Procrastination Equation: How to Stop Putting Things Off and Start Getting Stuff Done (New York: Harper Collins, 2011)
Reviewed by 斎藤悠樹


「先延ばしの方程式」

誰にでも一度は経験のある「先延ばし」。べつだんキレイ好きというわけでもないのに、テスト前になると急に部屋の掃除をはじめたり、やらねばらない至急の仕事が山積みしている時にかぎって、つい無関係なホームページを熟読してしまったり。こういう場合はいっそのこと早めに課題に取り組んでしまったほうが、かえって気が楽なのである。焦燥に駆られつつグズグズと先延ばしにしているときの心理状態のほうが、実際のタスクに取り掛かっている時の消耗よりもはるかに苦しいものであるのは、経験的にも周知の事実だろう。しかし頭ではそういう風に割り切っていても、なかなか実行に移せるものではない。というのも、人間の脳内には「先延ばし」への欲望が先天的にビルト・インされているから。

こういう心理の遺伝的なメカニズムを解説しつつ、その対策を打ち出すのが本書『先延ばしの方程式』である。著者ピアーズ・スティールは心理学を専攻して博士号を獲得、「先延ばしの心理」をテーマにいまなお研究を続けているらしい。書名からもわかるとおり、その方法はわりあい数学的であって、行動経済学などといった隣接分野とも密接にリンクしてくるという。要するに、人間行動の非合理性や衝動性を考慮にいれたうえで、これをなんとか定式化しようとするのが彼の学問の目的なのである。

「行動経済学」などという名称が出てくると途端にひるんでしまいそうになるのが、筆者のような根っからの文系人間の悲しい性だ。実際、本書の各章の冒頭には、かならずといっていいほど数式が付されている。「期待値×価値÷衝動性×遅延=モチベーション」というのが、「先延ばしの方程式」の最終的な到達点だ。こんな風に数式やグラフが出てくる世界は、そもそも文学とはまるで無縁なのではないだろうか…。しかしそう早合点して本を伏せてはいけない。なんとなれば、締切を先延ばしにするのは小説家や詩人の十八番だからであり、本書を彩る華々しい(?)エピソードの数々を提供するのも、締め切りに追われて苦悶する文学者たちの肖像なのである。

「先延ばし(procrastination)」は字面のとおりラテン語源であり、元々は“pro+crastinus”(“of tomorrow”)、要するに、「今日できることを明日に回す」という意味であったらしい。英語でも16世紀には早くもこの言葉が定着していて、本書にはロバート・グリーンの「遅延は危険をまねく、瀬戸際での先延ばし(“procrastination”)は災いの母に他ならない」という警句が紹介されている(59)。ロバート・グリーンといえばエリザベス朝末期に生きたシェイクスピアの同時代人。文筆によって生計を立てるという因果な稼業を実践した最初の世代に属している。つまり「職業としての英文学」は、その起源においてすでに、先延ばしという亡霊に取り憑かれていたのである。

“procrastination”という単語をみずから編纂した英語辞典にのせ、この一語を永遠のものとしたジョンソン博士もまた、迫りくる締切をまえに苦悩した文豪の一人であった。十八世紀のことである。十八世紀は指南本の時代だから、ジョナサン・エドワードの古典『先延ばし、あるいは未来を頼みにすることの罪と愚かさ』が書かれたのも、この世紀のことである。しかし、英文学史上もっとも壮麗な「先延ばし」を演じてみせたのは、なんといっても、ロマン派の詩人サミュエル・テイラー・コールリッジを措いて他にいない。「クーブラ・カーン」や「クリスタベル」といった代表作はついに未完に終わった。一応は完成に漕ぎつけた「老水夫の歌」でさえ、出版されるまでに五年の月日が費やされている。(80)

コールリッジの意志の弱さはいまや伝説的であり、ほとんど自己破壊的でさえある。例の阿片中毒の治療もズルズルと先延ばしにされることになった。「先延ばし」が致命的な病であることを、コールリッジ本人が自覚していなかったわけではない。リチャード・ホルムズによる美しい伝記にも、先延ばしをして、「チェリーパイの果実のあいだをどろっと滴り落ちるチェリージュースのようなもの」と形容するコールリッジの日記の一節が引用されている*。暗赤色に輝く不気味なイメージだ。コールリッジは阿片窟を徘徊するという悪癖を断とうとして、街のごろつき達を見張りに雇い、自分の行動を監視させることまでした。こういう他人の目を使った自己監視の方法は、現代医学にも形を変えて残っているらしい。しかし、阿片への欲望が限界まで嵩じて、もはや抑えが利かなくなったとき、コールリッジはみずから雇ったそのごろつきをクビにしてしまったのである…(168)コールリッジといえば、ワーズワースとの比較が付いてまわって、その意志の弱さが云々されるのが常である。当初の盟友であり、のちに決裂と和解を繰り返すことになるこの二人の関係は一筋縄ではいかないものだけれど、「先延ばし」という観点から両者をあらためて比較してみるのも面白いかもしれない。イギリス・ロマン主義というのは、畢生の大作の構想がつぎつぎに打ち立てられては、それが未完のまま延期されていくという、まさに先延ばしの文学であった。

もちろん本書はあくまで自己啓発本の体裁を取っているので、こういう文学史の薀蓄を披露するのを目的としているわけではない。「先延ばし」という病理への対処法を思案するうえでスティールが着目するのは、人間に遺伝的に備わった「衝動性」という性向である。衝動的に行動するヒトと先延ばしにするヒトでは、なにかにつけて好対照なようだが、物事を順序だてて計画的に進める能力が欠如しているという意味においては、実はなんら変わりがない。むしろ目先の誘惑に衝動的に身を委ねてしまうことこそが、先延ばしの最たる要因なのである。

「結論としては、衝動性は先延ばしというフィールドの中心に位置していて、他のいかなる性格的な特徴よりも強い結びつきを有している。自信の無さ(=期待値)と退屈への性向(=価値)もまた、物事を先延ばしにするうえで決定的な役割をはたしているが、その重要度は衝動性に遠くおよばない。(中略)通常の倍の衝動性を持つヒトは、一般的にいって、それだけ締切間際にならないと仕事に取りかからない。不幸なことだが、衝動的なヒトというのは、人生そのものをいつも先延ばしにしてしまうのである。歳を重ねれば衝動性もいくぶん減るし、すべての状況が衝動的な行動を引き起こすというわけでもないが、運命を逃れる術はない。衝動性というのは、ヒトに備わっているなにかというよりも、ヒトそのものなのである。」(162)

これが「先延ばしの方程式」の一番の核心だろう。まことに、性格というのは運命である。それで、本書では衝動的な誘惑に抗うためのプラクティカルな対策の数々が列挙されるのだが、未知の衝動に突き動かされる人間がまるでいないというのも、それはそれでなんとも味気ない社会ではないだろうか。Carpe Diemもまた文学の醍醐味。ついそんな風に考えてしまうから、また懲りずに先延ばしにする日々が始まるのである(なお本書には今年になって『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』と題して邦訳された、気になったら先延ばしにせず今すぐチェック!)

*Richard Holmes, Coleridge: Darker Reflections (Suffolk: Flamingo, 1998, 1999), 37

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